『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』の方法的特徴の考察

 

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はじめに

私が本記事で取り上げる著作は、高木徹(2011)『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争講談社文庫、である。この著作は、1990年代に起きたボスニア紛争を題材にしている。ボスニア紛争において、あるアメリカのPR(Public Relation)会社がいかに、暗躍していたのかという視点でボスニア紛争の構造を明らかにしている。著者は、「人々の血が流された戦いが「実」の戦いとすれば、ここで描かれる戦いは「虚」の戦いである(p.17)」と述べている。つまり、実際に血が流れた紛争についての研究ではなく、PR会社を通した歴史的事実の裏で起こっていた紛争についての研究である。

 本記事ではこの著作にはどのような方法的特徴があるのかについて分析を行う。

 


方法的特徴① 綿密なインタビュー調査

 この著作の最も大きな方法的特徴は、綿密なインタビュー調査の元に書かれている点である。著者はNHKに所属するジャーナリストである。したがって、ボスニア戦争当時の多くの重要人物に取材をしている。PRの力によって、ボスニアを勝利に導いたPR会社のキーパーソン、ボスニア側の外交官、セルビア側の首相、アメリカ世論を味方につけた大手紙の責任者など、一般人ではアクセスすることができないような情報源に多くの取材をしている。もちろん、著者本人による努力も大きいが、NHKの職員であるという自らの肩書きもこのような重要な情報源へのアクセス可能性に大きく貢献しているだろう。

 また、綿密なインタビュー調査によって記述されているため、当時の重要人物が何をしゃべったのか、いかにしゃべったのかということを鉤括弧のセリフ形式で記述している箇所が多い。例えば、「たった今戦火のサラエボからやってきて興奮冷めやらぬ、という風情で語り続けた(p127)」などである。何を言ったのかは議事録などの記録に残っていることがあっても、それをどのようにしゃべったのかということについては記録には残らない。この「どのように」という要素は、綿密なインタビューによってのみ明らかにできることである。そしてこの描写によって、この著作の読者は当時の情景をより具体的にいきいきと思い浮かべることができる。

 


方法的特徴② 通底するPRというテーマ 

 この著者は、ボスニア紛争という歴史的な出来事を「PR」という観点から一貫してとらえ続けている。当時、ボスニア紛争についてはセルビアの残酷さ・ボスニアの悲惨さなどの感情的な側面だけが目立っていた。しかし、本書はセルビアが悪で、ボスニアは被害者である、というような善悪を明らかにするものではない。PRがボスニア紛争において、どのように機能し、その結果ボスニア紛争はどのような様相を呈したのかという極めて冷静な観点から紛争を分析している。

 歴史研究に関する著作には、歴史的な出来事の因果関係を明らかにすることに重きをおくものが多い。例えば、ジャレド・ダイアモンド(2012)『銃・病原菌・鉄』は、同じような条件でスタートしたはずの人間が、今現在では一部の人種が圧倒的優位を誇っているのはなぜか、という問いに対して、「環境」の違いという答えを導いている。これは、歴史的な結果「人種による差」の原因「環境」を明らかにしようとするものである。

 しかし、本著作はPRの国際情勢への影響力を検証するということに主眼を置いている。そしてPRの国際情勢への影響力を検証するための素材として、アメリカのPR会社が暗躍したボスニア紛争という歴史的出来事を選んだのだ。結果として、ボスニア紛争によって劣勢だったボスニアが勝利したという歴史的結果の原因をPRという答えによって明らかにしている。このように、著作の結論

は他の歴史研究と違いはないが、なぜその研究をしたのかという動機が「歴史の解明」ではなく、「PRの国際情勢への影響力の検証」である点が特徴である。

 


まとめ

 以上、『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』の方法的特徴について①綿密なインタビュー調査、②通底するPRというテーマ、という観点から分析を行った。

 ①については、歴史研究において最も重要なのは情報源にアクセスすることが可能なのか否かということである可能性が示唆される。もし著者が、NHKの職員ではなく新米のフリージャーナリストであったら、ここまで綿密なインタビューはできていないだろう。また、二次資料だけで当時誰が何を言ったのかまでは明らかにすることはできるが、本書のように具体的な話し方を記述することはできないだろう。

 ②については、歴史研究は必ずしも歴史的事実についての何らかを明らかにすること目的としなくても良い歴史研究ができることが示唆された。歴史研究というと、歴史的事実の重要性などに目を向けなければならないと思われがちだが、本書のように何か自分が明らかにしたいテーマがあり、それを検証するための素材として歴史的事実を使用するという研究方法も重要であることがわかる。

 以上,『ドキュメント 戦争広告代理店 情報操作とボスニア紛争』の方法的特徴について論じてきた。今後は、インタビュー調査という質的研究手法ではなく、歴史を計量的に研究した著作についての検討も行いたい。また、この著作と同じように、あるテーマを明らかにするための素材として歴史的事実を使用している研究も引き続き分析していきたい。