日本の近代化に伴う「国語」政策についての考察

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1.はじめに

 本ブログは、日本の近代化とともに行われた「国語」政策について評価を行うものである。そのために、まず日本の明治初期から日露戦争前後までの「国語」政策について、その方法と特徴を確認する(第2章)。そしてつぎに、この時期の「国語」政策は近代国民国家の形成のために、どのように寄与したかについての評価を行う(第3章)。最後に、本ブログの要旨をもう一度まとめた上で、本ブログから得られた知見には、どのような意義があるのかということについて論じる(第4章)。なお、本ブログは「国のことば」である国語を、安田(2006)に依拠してカッコつきの「国語」と表記する。つまり、制度や法律と結びつけられた人為的な側面と、伝統・文化・歴史・民族性が後付けられた精神的な側面をもつことばとしての「国語」である(安田2006,p.51)。

 


2.日本の「国語」政策

 

 2-1.歴史的背景

  日本は明治維新期、工業化・資本主義化・植民地経営などにより強大な力を手にした欧米諸国との力の差を感じていた。そして日本は、この時期に多くの欧米の書物や思想、制度や習慣を取り入れようとした。いわゆる文明開化である。日本では、この文明開化とともに、欧米諸国と同等の力を持つために近代化が目指された。欧米列強の仲間入りをするためには、近代国民国家の形成が急がれたのである。近代国民国家においては、均質な国民を形成し、その国民を徹底的に国家に動員することが目指される。

 そのためには、国民の全員が同じことばを書き、同じことばを聞き、同じことばを話す必要がある。そこで必要不可欠であると考えられたのは「国語」の制定である。しかし、そもそも日本のことばは、書きことばと話しことばは全く違っていた。書きことばは漢文調で表記され、一部の特権的な階級にいる人しか理解できないようなものであった。また、書きことばは漢文調であるがために、そのまま話した場合、コミュニケーションは難しいという状況であった。また、話しことばについても、地域や階層によってさまざまに異なっており、とても「均質な」国民国家を形成できる状態ではなかった。そこで、近代国民国家のために、聞いても、書いてもわかることばとしての「国語」の制定が求められた。言文一致の動きである。

 

 2-2.「国語」政策の歴史

  今まで確認してきたように、日本は近代国民国家形成のために、書いても、聞いてもわかる「国語」が必要とされた。しかし、「国語」を制定しようと言ってもそれは簡単なことではない。地域や階層による多様性や、様々な政策上の論争などの問題をはらんでいたからである。

 明治初期の言語論においては、書きことばが重視された「上から」の啓蒙的な表記論にとどまっていた。ここでは、何を伝えるのかが重視され、どのように伝えるかということはあまり重視されず、実践的でない理論であった(安田2006,p.37)。しかしながら、何度も述べているように、近代国民国家のためには、聞いてもわかる、話してもわかる「国語」が必要である。「国語」によって国民を統合し、「日本国民」としてのアイデンティティを持たせ、「国語」によって、実際の制度を運用し、ニュースを届け、兵士に指示を出さなければならない。この観点から見ると、明治初期は、「国語」の統一の必要性は説かれたが、具体的な「国語」構築作業はあまり見られなかったといえる。

 しかし、明治後半になると、近代国民国家のためのさまざまな制度が実際に整備されていく。その中で、いうまでもなく「国語」の早期の制定が熱望された。このような実践的な整備のなかで(実践的な整備をしようとしたからこそ)、ある問題が浮かび上がった。「国語国字問題」である。つまり、どういったことばを「国語」とし、そのことばをどう表記していくか、という問題である。上田万年(1867~1937)は「国語」の制定に大きく寄与した国語学者である。上田は、ヨーロッパに語学研究にいった後に、ヨーロッパ言語学に影響を受け、漢文訓読体・漢文への批判的な議論をおこなった。つまり、話して、聞いて、わかりやすいことばを求め、「国語国字問題」を解消しようとしたのだ。しかし、秩父事件などを契機として、国粋主義が高まり、従来のことばの保存が望まれるなど、なかなか「国語国字問題」は解決されなかった。

 そもそも、「国語」を制定するために、「国語」政策として、「標準語」を上から教育するだけでは、抑圧的な印象をもたれてしまう。このような状況では、「国語」は本当の意味で国民のものにならない。そこで、「国語」に歴史的連続性を付与することで、国民の一体感を作り出し、抑圧的な印象を解消しようとした。つまり、国の歴史とともに、そこには常にことばがあったことを説いたのだ。本来、日本のある地域史は、「ある地域」の歴史でしかない(安田2006,p.49)。それなのに、その「ある地域史」をあたかも明治政府へと脈々と続く、日本の歴史とすることで、ことばの連続性を主張し、歴史と伝統を共有する、「国語」という後づけをおこなった。

 このようにして、実務的な国家の制度を担い、また、歴史的に脈々とつながって話されてきたという国民統合の役割も同時に担った、時間と空間をともにした「国語」を完成させようとしたのだ。

 また、1900年前後に日清戦争日露戦争という近代的な国民国家としての2つの戦争がおこった。これらの戦争は、日本国民のナショナリズムを高揚させる絶好の機会であった。中国やロシアという「外」を意識させることで、日本国民という「内」のつながりはより密になっていく。そのような、ナショナリズムの高揚に助けられ、教科書の表記、どの語彙を標準とするか、漢字をどの程度制限するか、かなづかいをどうするか、などの点がより具体的に検討されていった。

 


3.日本の「国語」政策への評価

 前章では、日本の「国語」政策の黎明期の歴史を追ってきた。それは、近代国民国家の形成のために必要不可欠であり、各種の制度と結びつけられた実務的な側面と、ナショナリズムや民族性、歴史、伝統と結びつけられた精神的な側面を持っていた。これらの点を踏まえて、本章ではこの時期の「国語」政策はどのように評価することができるのかについて検討をしていく。ここでいう評価とは「道徳的または人道的」に良いか悪いか、ということではなく、「ことばを統一するために」有効だったかどうかということについての評価である。

 


 3-1実務的側面の評価

 まずはじめに、「国語」を実務的な制度と結びつけて普及させていこうとした点について論じる。日本は、「国語」を国の諸制度と結びつけて制定していくことによって、ある種の「強制」または「インセンティブ」を人々に与えたと評価することができる。それまでの武士社会では、国の決定に携わるものは一部の特権階級だけであり、それ以外の人が漢文を書け、読めたとしてもあまり利益はなかったであろうし、その逆に使えないからといって圧倒的に他の人と比べて不利になることもなかっただろう。しかし、近代国民国家は、一応は「法の下の平等」ということが要件である。国民は政治に参加することができ、種々の制度の恩恵にあずかる権利をもつ。そのような状況では、制度と結びついた「国語」を学習しておかないと不利になってしまう。これがある種の「国語」の「強制」である。また、「国語」を流暢に操ることができることで、社会的地位を高めることができる可能性がある。つまり、現在の日本で言う「英語」と同じように、それが流暢に扱えれば社会的に成功する可能性を高くすることができただろう(少なくともそう信じられている)。このような「インセンティブ」を与えることで、「国語」の学習は拒否できなくなり、「自発的」に学習する人も現れたのである。

 


 3-2精神的側面の評価

 つぎに、「国語」を精神的な側面と結びつけたことについての評価について論じる。日本は、「均質な」日本国民を統合し、動員することを目指して、歴史的なつながり、美しさ、礼節、純血性などの様々な精神的な概念と「国語」を結びつけて普及を目指した。さらに、日清戦争日露戦争という二度の戦争を、ナショナリズム高揚と「国語」の統一の機会として利用し、日本国民の単一性と「国語」のつながりをより強固にしようとした。この点については、「国語」の普及を強く推進するものであると評価することができる。なぜならば、ことばには単なる情報伝達機能だけでなく、同族意識を表す機能も備わっているからである(P.ドラッドギル,1975,p.89)。日本の国民は、戦争により「日本」を強く意識し、「国語」という「歴史的」にも「伝統的」にも脈々受け継がれてきた、「美しい」ことばを使用することで、「日本民族」としての同族意識を強く感じただろう。このように、単に実生活上の必要だけでなく、精神的な正確も与えることで「国語」は人々のこころに深く浸透したのだ(違和感を覚えた人もいただろうが、そういう人も、前節に述べた強制による学習せざるをえない)。また、この同族意識を芽生えさせることで、方言への自浄作用もある程度働いたと考えることができる。

 


4.これからの「国語」政策

 以上、明治時代の近代国民国家形成のための「国語」政策について、その歴史と評価できる点について論じてきた。ここで、一つ留意しておきたいのは、当時の「国語」政策はきわめて多くの問題点を有しているということである。つまり、まずもって、地域的、階層的な様々な変種の話者を無視した上からの「暴力的な」政策である。「国語」としての「標準語」以外の変種はあたかも劣っているかの用に扱うということは、現在の言語学では否定されている(P.ドラッドギル1975,p.10)。しかし、当時は、「国語」としての「標準語」以外の地域や階層による変種は、劣っていて改善すべき物であるとの指導がなされたのだ。

このほかにも、植民地への「国語」政策における強制など、問題点を挙げれば枚挙にいとまがないし、多くの書籍により論じられている。そこで、本論文ではあえて、問題点ではなく、「有効性」という面から「国語」政策の評価を試みた。

 その結果、「実務的」・「精神的」な「国語」政策は、国民の「国語」学習を強制的または自発的に学習させるために、きわめて強い影響を与えていたことが示唆された。本論文から得られた、「国語」政策の影響力についての知見により、今後「国語」政策を行う国において「実務的」かつ「精神的」な政策は、人々に強い影響力をもつということを留意させ、慎重な政策を行うように促すことが期待される。

 

 

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