日本における政治と宗教の関わり方はどうあるべきか? Part1

この記事の参考書籍

 

 

amzn.to

 

 

1.はじめに

 本記事は、現代の日本においては、政治と宗教の関係はどのようなものであるべきかということを論じるものである。そのためにまず、宗教とはそもそもどのようなものであるのかという定義を確認する(第1章)。そして次に、日本における政治と宗教が,過去にどのような関係であったかという事について論じる(第2章)。最後に、現代社会においては、日本の政治と宗教はどのような関係であるべきなのかということを論じる(第3章)。

 

2.宗教とはなにか

 本章では、政治と宗教の関係を論じるにあたって、そもそも宗教とは何者であるのかという定義を確認したい。ここで論じるのは、なにも「宗教」をいかなるものとして捉えるべきなのかという抽象的な問いではない。それよりも、もっと単純に「日本における政治と宗教の関係」を論じるにあたって、「宗教」をどのように定義しておくとより論じやすいのか、日本の現状を捉えやすいのかという問題意識からの定義づけである。従ってこれは一種の操作化といったものである。

 宗教を定義するにあたっては、深澤(2006)が意義深い示唆を与えてくれる。つまり、近代化以降に宗教は諸制度を運用するために用いられる概念となった。それは逆に、そのような政治における諸制度に宗教を位置づけることによって、実体として認識できるものになった共言うことができる(深澤2006,p.2)。つまり、宗教というものは「実在している」ということだ。これはなにも難しく考えることではない。日本において、天照大神などといわれた神信じて、崇拝し、その教えに従って行動してきた人はたしかにいるだろう。また、葬式になると仏教徒がお寺で葬儀を行うことも、実際に日本でおこっていることである。このように、宗教というのは日本においても、政治や制度に実体として確認できるものである。

 一方で宗教とは、実体のない理念でもある。それは、宗教においてみられる、実際には実践できないような教えによく表れているだろう。キリスト教ならイエス・キリストについて聖書において語られることは、到底普通の人間には実践できることではない。また、それは現実的に不可能で笑ってしまうような例さえあるだろう。たとえば、「モーゼが海を真っ二つにする話し」や、「イエスキリストのおかげで見えない目がみえるようになったという話し」や「296歳まで生きた」というような話しである。これらのことは、一見すると子供が考えつきそうな現実味のない話しである。しかし宗教においてはこのような、不可能なことが「目指すべき理想」「守るべき教え」として語られることが多い。つまり、理念的なものが、現実において可能か・実体化できるのか、ということは関係無しに、人々に語られているのである。しかし、このように、理念的な宗教について人々が語ることは有意味であるとの感覚は、現在の日本に置いても広く共有されている(深澤2006,p.2)厳然たる事実でもあるのだ。

 以上のことを踏まえた上で宗教をどのように定義するべきだろうか。私は、本レポートにおいて扱う宗教を以下のように定義する。すなわち、宗教とは「人々の生活の様式を実際に規定する力を持ち、かつ、実際の社会においては直接見ることはできないような理念的な面ももつ活動体系」である。本レポートでは、以下この定義に従って過去の日本における宗教と政治のあり方、これからの政治と宗教の関係のあるべき姿について検討をしていく。

 

2.日本における政治と宗教

 当たり前の事実ではあるが、日本はかつて仏教国であった。天皇を中心とした、皇族・貴族階級は、非常に熱心に仏教信仰をしてきた。十七条憲法や、仏教の教えに基づく法が様々に制定されたことで、人々の生活は実際に規定されていた。仏教がなければやってよかったことを、やってはいけなくなり、仏教がなければできなかったことが仏教により可能になった。しかし、それと同時に大仏が作られたり、大乗仏教の思想であったりと、極めて理念的な側面ももっていた。

 しかし、この仏教が政治と関連していた時代とは対照的なのが、国家神道の時代であろう。明治時代以降、欧米諸国に肩を並べる為に近代国民国家の成立が急がれた。そこで、明確に日本の領土に居る国民が「日本人である」という自意識を共通して持つ必要が生まれた。そこで利用されたのが神道である。日本における、京都・奈良・江戸、様々な「地域史」を「神道」という宗教によって「日本史」であるとすることで、地域によって違うアイデンティティや慣習、政治制度などを統一しようとした。日本政府は、「国語」政策により、言葉の面で人々を統一し、日清戦争日露戦争により「ナショナリズムの高揚」を煽りつつ「国家神道」の教えを強制することで、天皇崇拝を軸にした宗教観を人々の中に作り上げてきた。

 国家神道が、仏教と違う点はどのようなところにあるのだろうか。それは、「現実性」と「非現実性」という宗教のもつ2つの要素の境界線が融解している事にあると考えられる。例えば、キリスト教であれば、「クリスマス」はイエスの誕生を祝うという行為は、実際に人々が行っており、現実性がある。しかし、「処女生誕」ということは、もはや誰も心から信じるものはいないし、医学的な見地から言っても非現実性である。しかし、それは理念として信仰し、人々の間で語られていることは確かである。このように、現実性と非現実性の区別は明瞭である。

 しかし、国家神道の場合はどうだろうか。特に太平洋戦争の時期に目をやると、天皇は神であるとあがめられ、教育勅語等は実際に人々の生活を規定していた。これは、宗教の現実性の側面である。では理念的な面では「天皇は人間ではなく、絶対の忠誠を尽くすべき存在である」ということであろう。しかし、現代社会においては、誰の目からみても天皇は人間であり、人々は「神」が現実世界に黙視できるものとして「実在する」とは思っていない。つまり、「天皇は人間ではない」ということは宗教の非現実性の側面にあたる。そうであるのに,当時の日本人は「天皇は現人神」であるという認識を持っていた。これには二つのパターンが考えられる。一つは、相互監視や言論統制によって、天皇は普通の人間であると思いつつも、天皇は神様であると信じているかのように装っているパターンである。このパターンにあたる人は一定層はいたであろう。しかし、このパターンだけでは説明できない行動がある。それが、神風特別攻撃隊などにみられる殉死である。つまり、その人たちは「天皇は神である」と信じているかのように装っていたのでなく、本心から「思っていた」のである。もし装っているだけなら、死んだら意味がないだろう。前者のパターンでは捕まるのが怖いから信じているように装うのであり、死んだら元も子もない。しかし、後者のパターンでは実際に死を受け入れているのである。このパターンの場合、非現実性を心から「信じる」ように洗脳されてしまっていると考えられる。

 つまり、本来は教育勅語など実際に生活様式を規定する現実性の部分と、「天皇は神である」とは信じていないが理念として信仰はする、ということが分けて存在するのだが、国家神道の場合それがごっちゃになってしまっているのだ。「天皇は神であるから、絶対忠誠を尽くせ」という非現実性の部分が現実の行動を規定してしまい、それが実際に特攻隊員たちを死に追いやったのである。

 以上見てきたように、明治以降の国家神道は宗教の現実性と非現実性の境界を曖昧にし、人々の生活を規定しすぎたのだろう。政治と宗教の関連が強すぎ、ほとんど一致してしまった一例である。このことを踏まえて、次章では現代日本においては宗教と政治はどのような関係たるべきなのかを論じる。

 

3.現代日本の政治と宗教の関係のあり方

 日本の太平洋戦争期の国家神道と政治が強すぎる関連を持ってしまったことについての説明は前章で行ってきた。太平洋戦争後は、打って変わって「政教分離」が叫ばれ政治と宗教が関係をもっては行けないという風潮を強くしてきた。たしかに、首相が靖国神社に参拝に行けば、各方面からの批判が生まれる。また、公明党創価学会との関係は政教分離の原則に違反してはいないかという議論も良く耳にする。つまり,現代の日本人は「政治」と「宗教」の距離が近づくことについては、非常に敏感になっている。しかしながら、そこには多くの矛盾もある。都合のいいことに、天皇誕生日が休日になることには、あまり意義が唱えられていない。また、政治家が仏教式の葬式を挙げることも許されている。

 上記のような矛盾も抱えつつ、日本人は様々な宗教を消費する時代に入っている。クリスマスの消費は大きく、新年には神社にお参りにいき、人が亡くなれば仏教式の葬式を行う。つまり、こと消費に関して日本人は「宗教」が入り込んでくることには鈍感なのである。

 このことを踏まえて、日本の政治と宗教の関係はどのようにあるべきなのだろうか。私は、政治も経済的な政策においては宗教を利用して行くべきであるとかんがえている。人々は、政治と宗教の関係には敏感であるが、現に宗教は多様な方法でお金を対価に消費はされているのだ。つまり、地方活性化のための公共事業や、国の経済活性のためのクリスマス商戦への補助金などについては、「宗教性」というものを今よりももっと投入して良いだろう。そうすることで、より大きな消費をうみ、経済活性を実現することができるだろう。